サウザー先生の教え

サウザー氏のVoicyに気づかされる社畜たち。〜本当にやりたかったことってなんだろう〜

あなたは、サウザー氏をご存じだろうか?

Voicyでイケダハヤト氏、はあちゅう氏といった有名ブロガーを押しのけて1位となっている方である。

サウザー氏のVoicyでは、「青雲の志」という崇高な理念を掲げている。

聞いている方ならもちろんご存じだろう。

 

ニートになることだ。

ニートになりたいって言っちゃダメ?

「ニートになりたい。」

なんとも恐れ多い言葉だ。

親戚一同の前でこの発言をしようものなら、僕らの両親は教育観念を根本から疑われ、後ろ指をさされることは想像にたやすい。

ニートと聞くと思い浮かぶのは、自堕落人間である。親のすねをかじり、社会への貢献もせず引きこもり、身近な人間からは穀潰しと呼ばれる日本カースト制度の最底辺に位置し、関わりたくない社会不適合者。これが我々のイメージするニートである。

しかし、サウザー氏が一般名詞で呼ばれるニートと異なる点は”自立している事”である。Voicyやブログを読めばわかるが、彼は幼いころより「青雲の志」を実現するために資本主義というゲームを研究し、実践し、戦略的かつ実力でニートという立場を獲得した。

そんな彼の貴重で実践的な研究成果がなんとVoicyでは無料で公開されているのである。僕は有料セミナーに何度か足を運んだことがあるが、今まで聞いたどんなセミナーよりも数十倍の思考体験と刺激が聴覚器官に届いてくる。

Voicy様々、サウザー様様々である。

で、具体的な内容を僕のブログで偉そうに語るつもりも、その必要性も感じていない。

ただ、彼が戦略的にVoicyで1位になり多くのリスナーを増やしたことで、今まで眠っていた社畜たちが目を覚ましてしまうのではないかと感じ、このブログを書くに至った。

そもそも、我々社畜は勘違いをしていたのだ。

「ニートになりたい。」この言葉は禁忌ではなかったのだ。 

本当にやりたいことって何だったんだろう。

我々が一番大きな洗脳教育を受けるのは、やはり就職活動の時だ。

就職活動とは、ほとんどの人間にとって自分の労働力という商品を社会に売り込む最初の機会となる。

今まで酒と女とバイトにしか興味がなかったチャラい学生が、黒髪短髪なフレッシュマンとなり、授業中には想像も出来ないような態度でおっさんの説明を真摯に聞き始めるのである。

雇用条件を横目に見ながらも崇高立派な経営理念に共感しようと努力し、最終面接ではNPO法人もあんぐりな志望動機を経営者に叩きつけるのである。

こうしたプロセスを経て、社会の荒波に飛び込んでいくのが日本の就活生である。

入社をしてからは不足したスキルを埋めるべく必死に先輩に追いつこうと努力し、電車の中では慣れない日本経済新聞を読み、社会の流れという抽象的な言葉を必死に理解しようとする。(ケータイをいじる周りの同年代に対して多少の優越感を抱きながら)

仕事を覚えれば覚える程、上司に気に入られ承認欲求が心をくすぐる。

一通り仕事を覚えて、異動の話が出たときにこう述べる。

「私は、●●部で働きたいです!」

やりたい事は他にない?視野が狭くなってない?

ここで転職や異動をしたいと言っている者たちに問いたい。

「その部署で働くのと、ニートになるのと、どっちをやりたい?」

志望動機の形成や、社会への貢献という言葉に惑わされ、言葉ばかりの崇高な理念を理解しようと試みた学生は、こうしたプロセスを経て理想の社畜へと姿を変えていくのだ。

サウザー氏はこうして洗脳された社畜たちに対して、口に出すことも憚られる「ニートになりたい。」というピュアな意見を出しても良いと背中を押してくれる。

それと同時に、「ニートになるために必要な努力の仕方とプロセス」を青雲の志というカッコよいフレーズを用いて我々に提供してくれているのだ。

この先Voicyというメディアを通じて息を吹き返した社畜たちが、ニートという言葉に吸い寄せられ、資本主義社会に小さな亀裂を作り出す事を想像せずにはいられない。(僕も含む。)

「独立をするためには、努力をしなければならない。」

「仕事をするためには、スキルを磨かなければならない。

「理想の暮らしを送るためには、お金を稼がなければならない。」

こうした当たり前と言われる価値観を受け入れるために、必死に努力をしていた迷える社畜たちに対して、サウザー氏はこれからどれだけ大きな影響力を与えていくのだろうか。

明日もラジオ楽しみにしてます。(照)

 

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