コラム

Amazonレビューは見ないのが正解? 魅力的な商品説明の難しさを語ってみる。

今の時代、自分の”好き””嫌い”という情報が、その商品を決める一つの価値となりました。

Amazonで商品を購入するときに、最も重要な情報の一つに「購入者のレビュー」があります。商品に興味があって、価値を得るためにお金を払うか検討している。そんなときに最後の決め手になるのが、この情報です。

ぼくは、本当にこの商品の良さを伝えられているだろうか。

文章を発信していると、そんなことを考えます。

自分の”好き”はうまく伝えられているだろうか?

この商品に対する思いを言葉にのせられているだろうか。

たまにそんなことに不安になります。

クリエイターは「中二病」であるべきだ。

本気で伝える難しさ。

ブログを更新していると、自分の感情を言葉にのせることの難しさを感じることがたくさんあります。

例えば最近、ぼくは橘玲さんの本を読んで至極感動を覚えました。

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 (幻冬舎文庫)

この本のレビューを何度も書いては消し、書いては消しを繰り返しています。

「そのまま出しちゃえばいいじゃん。」って思う人もいるでしょうし、自分でもそうしようと思っているのですが、どうしても躊躇します。

理由はいくつかあります。

  • この著者の意図を理解出来ているだろうか?
  • 自分の言葉で話せているだろうか?
  • 薄っぺらい結論だけを提示していないだろうか?

新書の文字数は最低8万文字、単行本は15万字と言われています。

この文字を生み出すためには圧倒的な”思考”が必要だと思うんです。何度も表現し直して、構成をねって、世の中の人に届けたい言葉。

そうした作品を何の気なしにコメントすることは、僕は冒涜だとすら思っています。

ロボットに仕事を奪われない為には?⇒”クリエイティブ”を身につけよう。

文章を丁寧に切り取れるか。

ぼく自身書評レビューもそれなりに読みます。ただしかし、量産型の記事を作る人にありがちですが、「薄っぺらい要約」が多いんですよね。

本の論理を受けて、自分の言葉を展開するのであれば、それはクリエイティブに結びつくのだと思います。

ですが、本の引用や各論だけを引用してレビューをするだけでは、人の船の乗っかっているのと同じようなことです。

作者が作り上げた作品の一番良い部分だけかすめとる行為と思われても仕方がない。

そんなレビューが山程あります。

文章の切り取り方を間違えてしまうと、そうした記事になるでしょう。

完璧なんてありえない⇒恥ずかしさも含めてアウトプットし続けること。

とは言っても、書いてみるしかない。

だからといって、発言をすることに臆病になる必要性も無いと理解しています。

自分が感じたことを発信するのは本当に難しい。言葉選び一つで相手からの印象は大きく変わる。そんな中で気持ちを文章に落とすのは簡単なことではない。

そこにはやはり、練習が必要になります。書いて、読んで、フィードバックされて、また書く・・・こうして健全な自己批判を繰り返すことでやはり上達します。

となると、ぼくの拙い言葉でもやはり発信をしていく必要があるのでしょう。

少しずつ、成長していきます。

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