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「でゅお」のプロフィール(更新:2018年5月18日)

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 はじめまして、でゅお(@duolog)です。

 

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この度は「でゅおろぐ」にご訪問頂きありがとうございます!

 

このページを開いてくれた人にでゅおって奴は「何が出来るの?」「役立つやつなの?」ということをプロフィールを交えてお話出来ればと思います。

 

 

ブログの紹介は別途紹介させてください!

 

 

 でゅおって何者?

 1992年東京生まれの25歳です。東京生まれですが、シティボーイとは無縁の緑豊かな西側で生まれました。

 

今はITのコンサルタントとしてRPAやAIを中心としたお仕事をしています。

 

コンサルタントというと激務なイメージがあるかもしれませんが、いわゆる外資のバリバリ系の職場ではありません。

 

2016年にストレスからうつ一歩手前までおちいった経験もあり、今は6時過ぎに帰ることを基本としています。

 

また、昨年結婚をしたばかりの新婚です。

 

▼嫁との記事はこちら!

www.etheduo.com

 

仲がとっても良く、平日も休日も大体2人で遊んでいます。

 

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このブログのイラスト担当してもらってます。

 

さて、プロフィールを書いてみました。まだまだ不満もありますが、少しずつアップデートして完成させようと思います。

 

現時点で7000文字くらいになってしまい、書きたい他の内容も含めると、10000字超える気がします。(2018年5月18日時点)

 

気合を入れて書きました。せっかくこのページを開いてくれたあなたは是非このまま読み進めろくださいお願いします。\( ‘ω’)/

 

幼少期~小学校時代 ~オタクの英才教育~

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幼少期からゲームオタクでした。

 

5歳で初めて買ってもらったポケットモンスター赤は忘れもしません。

 

携帯ゲームを手に入れたぼくは山に行ってもゲーム!海に行ってもゲーム!車の中だろうと、電車の中だろうと、いっつも手元にGAMEBOYを持ってました。

 

デジタルネイディブなぼくは小学3年生になってから、オタク道が加速します。

 

我が家にWindows98のパソコンが届いたのです。

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そこからはパソコンにどっぷりのめり込みました。

 

フリーゲームを片っ端からやりこみ、「MapleStory」というオンラインゲームにのめり込み、しまいにはP2P技術にのめり込んでいきました。

 

そんなこともあり、おそらく1番話があう方はネットギークな30代の方とかかもしれません。(仁義なき●●タマとかご存知の方います?)

 

そんな小学生だったので「公園で遊んでた。」とか「体を動かすのが大好きだった。」という一般的な小学生生活なエピソードはあまりないです・・・

 

小学校5年生のときには自作パソコンに手を出しました。パソコンに詳しい父の友人に教えてもらい、秋葉原で総額20万円くらいのPCを組ませてもらいました。

 

今思うと感謝しかありません。

 

この頃からデジタルオタクの未来は確定してましたね。

 

中学時代 ~リアル暗黒期~

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中学時代はとにかく暗黒期ですね。あんまりいい思い出ありません。この頃ぼくはいじめられてましたねー。

 

中学のいわゆるリア充系キャラに会うとからかわれるわ、叩かれるわ、ディスられるわ・・今思うと何であんなにいじめられてたのかわかりません。

 

しいて言えばぼくめちゃめちゃスタイル悪いんですよ。身長も当時前から数えた方が早く、頭が大きく足が短い。今おもうとまわりの子たちは悪気はなかったんですかねー?よく覚えてませんが、とにかくあまり良い思い出がありません。

 

ただ、この頃ネット世界では黄金期でしたね。当時「GunZ the Duel」という対戦系FPS(今はやりのPUBGみたいなやつですね。)に熱狂的なまでに打ち込み、なんといっとき全国ランキング9位まで上り詰めました。

 

このゲーム、今の時代流行らないだろってくらい操作が難しいんですよ!

 

例えば「Space+W×2+クリック+Shift」を0.2秒以内に打ち込むと出来るバタフライステップという技があるんですけど、その技覚えるまで延々とボコボコにされ続けるというクソマゾゲーなんですよ。

 

当時は親の目を盗んで夜の7時から明け方の3時4時までとにかく練習してましたね。

 

今考えると、寝不足で学校に行って、友達ともロクに喋らず帰ってるわけですから。リアルの世界じゃ嫌われて当たり前かもしれません・・

 

そうして、ぼくの中学時代のほとんどはゲームによって消えていきました。

 

高校時代~高校デビュー成功からの素行不良~

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そんな暗黒期を過ごした中学生活もあって、「絶対高校デビューしたろ!」と企み見事成功しました。

 

高校になってからも優先順位はゲーム>バンド>部活動(テニス)って感じでしたね。当時アンティックー珈琲店ーというV系バンドにハマり、とにかく髪の毛を盛ってイキがってました。

 

ギター弾けて髪型カッコいいのがすべてでしょ!みたいな頭ぱっぱらぱーのクソガキだったので、当然付き合う友達も中学時代とはガラっと変わり、気づけば非行的な少年になってました。

 

当時はAKB48が流行り始めた時期でして、パソコンにも詳しかったぼくはやんちゃな友達とAKB関連のネットビジネスを始めてお金を稼いでました。

 

月4-5万くらいかな?高校生にとってはそこそこ困らない額を稼げました。あんまり書くと法律的にNGなので書かないですけど、まぁ時効です(´-`).。oO

 

そんなことばっかりしてたので当時は笑えないくらい学力が低く「Be動詞ってなに?」って真顔で聞いちゃうくらいのやばい子でした。学力テストも下から数えてワースト3番目とかでしたね。

 

将来やりたいこともよくわかんないし、とりあえずギターの専門学校でも行って適当にはたらこうかな・・・

 

そんなことを思っていたころに、事件が起きました。

 

当時高校2年生のぼく、ささやかなヤンチャが警察のお世話になるようなおおごととなってしまい、停学沙汰になりました。

 

停学ならまだ良いです。最悪なことにそれは期末テストの時期と重なり、当時学力スレスレだったぼくに高校留年の危機が訪れました。

 

まぁ、そんな中でもパッパラパーは変わらず当時は「やべぇ、高校留年ってなんやねんマジ終わったわーうけるーww」くらいの気分で考えてました。

 

その頃付き合ってた友達も高校中退とかそんなやつばっかりだったので、まぁ最悪しょうがないかなぁーと。(親にはめっちゃ怒られたけどね。)

 

ですが、結局ぼくは留年しませんでした。

 

聞けば、ぼくの停学処分会議のときに担任の先生が全力で止めてくれたそうです。他の教師や校長に頭下げて「俺が責任を取るから勘弁してやってくれ!!」なんて周りの人間を説得してくれたらしいんですよね。もう担任の先生にはなんど頭をさげたことかわかりません・・・

 

その事件の後、高3の進路面談の時にこう言われました。

 

「お前は大学に行け、ちゃんと勉強してもっと広い世界を見てこい。」と。

 

もともと無駄にプライドが高く自己顕示欲の塊だったぼくは「じゃあ一丁やってみるか!」と一念発起し、受験勉強をスタートさせました。

 

大好きだったゲームをすべて封印し、勉強に明け暮れましたよ。

 

Be動詞もわからない、歴史も数学もわからない状態だったので、とりあえず安河内先生の中学1年生用の英語の教科書買ってきて何週も繰り返しました。

 

そのときにノートをつけはじめました。受験日までの日数を逆算して、1週間ごとのタスクを決めてとにかく量をこなしまくりましたね。

 

もともと要領がいいタイプじゃないんで、最初は全然成果が出ませんでした。でも文系の受験勉強ってやれば出来るんですよ。1日12時間以上勉強したら嫌でも詳しくなっていくんですよね。

 

物事は基本的にやれば伸びます。後はやりたいかどうかです。

 

きづけば、学年末の成績は英語が学年1位、政治経済に至っては偏差値70越えとなり、受験した学校も無事全部合格し、無事希望とする大学に入学することが出来ました。

 

大学時代 ~覚醒し、Yahooニュースに載るようなアクティブ男に~f:id:duo00731:20180517005657j:plain

大学時代から、少しずつ今のぼくが形成されてきます。

 

ぼくが入学した年に、あるベストセラー作家の方が低学年向けのキャリア教育をする団体が設立されました。

 

そこで、「大企業、公務員になること、それって本当に正解なの?」というキャリア論をテーマに学内メディアを立ち上げることになったんですよね。

 

▼より詳しい記事はこちら

www.etheduo.com

 大学生からみてカッコいい著名な人を自分で探して、その人に大学講師をお願いして、来てもらって授業のテーマを企画する。

 

企画書を作って、メールや電話をし、アポを取って名刺渡して訪問して、企画を作りこんで、集客をして、行った授業をレポートにまとめ、ネットで配信する。

 

この活動は本当に楽しかったです。もうこれだけで大学生活を誇っても良いくらい楽しい活動でしたね。

 

そんな素晴らしい環境をぼくは活かしまくって、自分が会いたかったエッジが効いた面白い人を探してアポをとりまくりました。

 

もし学生の方で、このブログを見てくださってる方がいたら言いたいです。

 

大学時代は社会人をフル活用した方がいいですよ。

 

学生は最高の身分です。どこ馬の骨かわからないような人間でも、学生というだけで大人たちは優しいです。

 

この活動を繰り返して、アーティスト、プロデューサー、職人、映画監督、連続起業家、編集長、写真家等々・・数え切れないほどの「個として働く人たちの人生観・生き方・働き方」を徹底的に聞かせていただきました。

 

余談ですが、このときの活動の1つはYahooニュースにも掲載され、それなりにバズったことがありますw

 

で、その活動を通してぼくが学んだことは大きく3つあります。

 

1つは、「行動」にこそ意味があるということ。

 

自分が何をやりたくて、どんな将来をつくりたいのか、いくら考えたって答えは出ない。頭を使って、足を動かして、何度も何度も試行錯誤していけば、欲しい未来を手に入れることが出来る。

 

2つ目は自分の人生の「責任」を持つということ。

 

ぼくが大学に入った時、親たちは喜びました。何故なら大手企業に行ける学校だから。

でも、この活動を通して学歴ってクソほど関係ないことだなって思いました。

 

結局、幸せの形は人それぞれだし、自分が後悔しない道を進むしかないんですよ。

 

リスク取って成功した人間の裏には沈みゆく人間だって腐るほどいる。

 

大手に入ってブラック労働で人生絶望してる人の裏には、メシ食ってクソしに行ってるだけで数千万もらってるひともいる。

 

小さい会社で働いてても、家族と毎日幸せに過ごしてる人だっている。

 

大手とか、中小とか関係ない。自分が選んだ環境含めて、全部自分の人生、自己責任です。

 

嫌なら変えれば良い。でも後悔はしない。人を妬まない。自分の人生の選択に責任を持つ必要があるんだと思いました。

 

3つ目、「働き方」について生涯をかけて考えるべきということ。

 

大学時代にたくさんの素晴らしい方と出会ったことで、世の中にはこんなにもカッコいい大人がいるんだって思えたんですよね。

 

ぼくは小さい頃からサラリーマンという職業に違和感を持っていました。満員電車で、すし詰になりながら通勤し、転勤命令があったら住所を変え、小遣いを大事にしながら仕事をする。

 

ぼくが昔見ていた大人たちは、会社に勤めるために必死に勉強して、スキルを磨いて、誰もが憧れる大企業に入社してる人ばかりでした。

 

後30年前に新卒だったらそれでも良かったかもしれません。家族養えるしね。

 

しかし、終身雇用や年功序列制度は、人口動態の変化と平均寿命の増加と日本経済の転落によりオワコンな未来が見えてきました。

 

ぼくたちは、新しい働き方を考えなければなりません。

 

その思考をするためには、現在のプロパー信仰制度や、「石の上にも3年」みたいな旧来の価値観をとっぱらう必要があります。

 

定年が無くなり、一生働き続ける必要があるんですもの。だったら自分にとって「幸せな働き方」ってなんなのか、これは一生かけて考えるに値するテーマだと思いました。

 

こうして、ぼくは大学を卒業し社会人となりました。

 

▼入社する前のぼくの記事はこちら

 

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余談:大学時代に読んだ本のはなし
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大学時代は、ゲームを封印した反動もあり、とにかく本を浴びるように読んでいました。週に10冊読むなんて当たり前、小説・ビジネス・哲学・キャリアの本を片っ端から読み漁りました。少なく見積もっても500冊くらいは読んだと思います。

 

小説は村上春樹がダントツで大好きですね。「風の唄を聴け」や「アフターダーク」なんかは未だに読み返します。あの冗長的で抽象的な文章、読みやすくも深い表現力、輪郭を少しずつ浮き出した先に浮かぶ哲学的観念。村上春樹は本当に天才だと思ってますね。

 

ビジネス関係で当時から読んでいる思い入れ深い本はやはり「WORKSHIFT」でしょうか、リンダ・グラットンさんの2025年以降の「雇用の未来」を描いた一冊です。もう興味深すぎて無我夢中で読みましたね。この本だけで5~6本ブログ書けると思います。これまじです。

 

自己啓発系は、くさるほど読みましたが結局言ってることみんな同じだなーと思ってから全く読まなくなりましたね。強いて言えばカーネギーの「人を動かす」は最高の本です。あれで営業センス相当上がりました。そういえばな最近読んでないなぁ。

 

哲学書は一時期読みふけってましたけど、頭に入ってるのはニーチェデカルトくらいですかね。。哲学は基本的に過去の思想にケチつけていくものと認識してまして、ソクラテスプラトンアリストテレスに繋がる流れはまぁわかる。カントは意味不明って感じで終わった覚えがあります。哲学とは違うのかもしれないけれど、アドラーはすごく心に刺さりましたね。

 

ぼくは本を読むことを「精神世界の旅」と呼んでいます。ページをめくるだけで、自分を全く別の世界に連れて行ってくれます。社会人を卒業してからはビジネス以外のジャンルは読むことが減ってしまったけれど、せっかくブログも始めたし、また読書のペースを速めていきたいですね。

 

社会人〜セルフパワハラ時代〜

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人材会社に入社した理由は簡単でした。

 

「もっと色々な人に会いたい。」

 

誤解を恐れずに言えば、会社もなんでもよかったんです。

 

最初のキャリアは営業と決めていました。今思えば引きこもり気質な自分にとっては少し後悔したことなんですけど、当時は「営業力」が独立する上で最も重要って思っていたし、何をするにもまず人とのコミュニケーション能力が役に立つと思っていました。

 

営業やって中小企業回りたいなら、どの会社もやること一緒なんですよね。変わるのって会社の看板だけなので、とりあえず「大きいところ」を選びました。

 

入社してからは営業に配属されました。中小企業の社長さんにたくさん会って、求人広告を売るという仕事は学生のときの活動に似た部分も多く、1年経つとそれなりに優秀な営業になる事ができました。 

 

ですが、ここからが地獄の始まりでした。

 

頭角をあらわしはじめたぼくは若手幹部候補生として、ある研修プログラムに入れられました。

 

週2回3時間の講義の度に分厚い本をたくさん読み、課題を仕上げディベートをし、けなされ、ののしられながらも日々成長をしていきました。

 

その頃のぼくは自分のことをクソ優秀だと勘違いし、それ以外にももらえる仕事を片っ端から引き受けていきました。気づけばメンバーのマネジメント業務をしながら、並行して自分の数字も作り、終わったらプログラムの課題をこなす。そんな生活をつづけました。

 

ぼくは元来クソ真面目な性格のこともあり、増えた業務量に苦しさを覚えながらも「やり遂げたい」という気持ちで頭がいっぱいでした。家に帰ってくるのは12時過ぎが当たり前、帰ってきたら風呂に入ってファミレスで仕事し、週に3日は徹夜するし、土日も出社して仕事をしていました。

 

おそらく、周りからみても「こいつきついだろ」ってわかるレベルだったと思います。でも「お前つづけられんの?」って聞かれたら「絶対やり遂げます!」としか答えたくなかったんですよね。

 

こうして、ある朝出社しようとしたら、体調が悪すぎてベッドから起き上がれなくなりました。嫌な予感を胸に精神科に行くと見事にうつ診断を頂き、休職突入となりました。

 

今思い返してもあんまり良い記憶じゃありません。「どうしてこうなってしまったんだろう。」って頭の中で何度も考え、結果どんどん精神が衰弱していきました。

 

今見ると自分自身に「セルフパワハラしてたんじゃないかなとも思います。おそらく普通に自分のキャパシティを知って、仕事をしていればこんなにつらい思いをする必要はなかったと思います。

 

大学の活動で何を学んだの?って感じですね。

 

こうして、1社目の人材会社は退職することとなりました。

 

休職中について

休職して、最初の1ヶ月は本当に精神科に行く以外家を出ることはありませんでした。

世の中の全てが敵に見え、自分はダメな存在だと落ち込み、精神を摩耗しながら日々布団の中にくるまっていました。

 

ひとつ、休職中のことでお話したいエピソードがあります。

ぼくは知らなかったのですが、休職中も税金ってかかるんですね。

 

休職してしばらくすると労務から連絡があり、毎月所定の金額を振り込んで欲しいと口座番号を渡されました。

 

会社が半分負担してくれていたのですが、それでも毎月数万円の出費となり、ニートには辛かったです。

 

一応、うつ等精神疾患にかかると、精神科で診断書を出してもらえれば「傷病手当金」というものが支給されます。(毎月固定給の2/3程の金額ですね。)ただ、その申請はうつ状態でやるには結構負担がかかるんですよ。色々と書類をとらなきゃいけないですし、記入する書類もたくさんあります。

 

そんな状況もあり、2ヶ月経つ頃には、無理にでも働かないとそもそも家賃が払えないくらいに家系はひっ迫していきました。

 

いやー・・・本当辛かったですね。

 

2社目~ITコンサルタントとなる~

2社目に入ったきっかけは紹介でした。

当時ぼくには前職の会社に戻るパターン、他の内定先でもある財務コンサルタントになるパターン、ITコンサルタントになるパターンの3種類がありました。

 

しかし、とあるきっかけでITコンサルタントとして働く道を選びました。理由は、縁故です。

 

当時ぼくのスキルレベルや実務経験では、ITとしての経験もないため、ほとんどが門前払いでした。

 

しかし、1社目で働いていた時のきっかけで、今の会社に入社することとなりました。