こんにちは、でゅおです。
実はこのブログ4月12日から毎日更新しています。今日でやっと17日目ですね。
2週間前の自分がいつも何をしていたんだろう?って疑問に思うくらいブログの事を考えるようになりました。
最近イケダハヤト氏の「ブログ運営の教科書」を読みました。
「あなたがブログを書く理由はなんですか?」
って書いてあったので、今日はちょっとこの話を書こうと思います。
僕の答えは、2つ①「過去の自分を資産とすること」②「同じ仲間を見つける事」でした。
7年前の今日、何を考えていたか覚えてる?
僕、高校2年生から大学卒業するくらいまで日記を書いていたんですよ。
書いたきっかけは受験勉強でした。
当時僕は偏差値35くらいのド底辺高校生でして、ギター大好きゲーム大好き、将来はスタジオミュージシャンになって好き勝手遊びたいなーって考えていたんです。
その時、色々あって停学になり高校留年しそうになった時期がありました。結果大丈夫だったんですけど、担任の先生にしこたま怒られた後言われたんですよ。
「お前は頭が良いんだから、ちゃんと勉強しろ。」と。
実はその頃、英語の教科書読んでもBe動詞の意味すらわからなかったんですよね。
「is とか are とかめんどくせーよ何で統一しないんだよ馬鹿だわ英語圏」みたいな(笑)よくいるウザい子供でした。
ただその先生にはお世話になったこともあり、「一回本気でやってみるか!」勉強する事を決めました。
で、そのBe動詞もわからない時代に日記をつけ始めたんですよね。
MARCH以上の大学に絶対行くと目標立てて、そのために必要な教科とか情報を仕入れて「今日は、これ覚えた。」「明日はこれ覚える。」みたいなことを日記に書くようになりました。
で、ノートに色々書きながらとにかく勉強していきました。
結果、模試もどんどん成績上がっていくし、学年で260人中257番みたいなヒドい成績だったのですが、最終的には学年1位の成績になり無事目標とした大学に行くことが出来ました。
サウザー氏も先日Voicyで話してましたが、日記の力ってすごいです。
日記って、その時の感情や洞察を思い出す効果があります。
たかだか3行程度の日記でも、「その時どんな場所で書いたのか」「どうしてこう思ったのか」「自分はどんなことに興味があったのか」を思い出す事が出来るんです。
じつは・・・ぼく大学生の頃もブログを書いてました。
ひそかに見返したりするのですが、なかなか良い文章を書いているんですよね。
文章を書くのに年齢は関係ありません。日本はどうしても年功序列社会というか、年齢が上という事にアドバンテージを見出そうとする社会です。でも高校生、大学生くらいにもなればその人の価値観は既に定まっています。
全般的なスキルはともかくその人にしかない世界、その人だけの個性、特出したモノがあります。
自分が将来見返した時に、この頃の自分はどんな考えを大事にして記事を書いていたのか。
数年後の自分が考える為には、過去の自分を切り取る必要があります。
だから僕は、未来の自分の為にブログを書く。
これが今僕がブログを書いている一つ目の理由です。
共感する人たちを見つけられるインターネットの世界。
人それぞれ価値観があります。
女の子の事を考えることが死ぬほど好きな人もいれば、映画を見る人が好きな人だっています。人は自分と同じ興味を抱く人間と群れたい生き物です。
僕はすごくうがった物の考え方をしながらも、コミュニティに上手く属するタイプです。
就活をしている時も、「なんでこいつらパリピだったのにこんなにも恥ずかしい発言出来るんだろ。」って思ったり。
営業をしてる時も「なんで電話代と相手の時間を無駄にしてこんな迷惑な事してんだろ?」って思ったり。
そんな行動をしている人たちと、心のどこかで距離を開けていました。
かといって、自分自身穿った物ごとの考え方をするだけで、何もしない人間というレッテルを貼られるのが嫌でした。
結果、そのコミュニティや思考を受け入れないまま、彼らと同じように行動をしてきて、サラリーマンという道も選択したと思っていました。
でも、その人の本音って深く関わって初めてわかるんですよね。
心の本音をリアルな場で吐き出す事は、すごく勇気と時間がかかることです。
何か月も前から共に過ごし、飲みに行って心を近づけてやっと初めて二人で話した時に、「この人こんな事考えていたんだ!」って初めて共感しあえるように、相手との心理的な距離が縮まって初めてその人の事を知ることができます。
リアルの場で、コミュニティに属した人間が自分の正直な気持ちを発信することは、とてもリスクの高い行為です。
しかし、コミュニティに属していないネットの中の自分であれば、その発言にリスクはありません。
嫌われてしまったらそれまでだし、表面的な付き合いを無理してする必要がありません。自分がどう思うか、相手がどう思うか。それだけであって、そこにコミュニティとしての縛りや生きづらさは発生しません。
ブログを書くという行為は、著者の本当の気持ちや考えを、ネットという不特定社会に発信することができます。そこに心理的な制約は必要ありません。
であれば、自分が思っている正直な言葉をブログなりTwitterで発信していく事は、僕が最も望んでいた事なんじゃないかとすら思っています。
正直な自分の意見を発信し、その意見に対して他の人は”本音”でどう思っているのか、別な意見があるのか、確認することが出来る。
これが、僕がブログを書く2つ目の理由です。
皆さんがブログを書く理由は何でしょうか?