毎日ブロガーさんをみていると、色々なひとを発見しますね。
- 「Web系につよい。」
- 「校閲につよい。」
- 「ブログ運営につよい。」
- 「仮想通貨につよい。」
いろいろな人が個性を発揮していて、ときどき自分のつよみが見えなくなります。
この人みたいにプログラミングが出来るようになりたい。営業出来るようになりたい。英語が出来るようになりたい。
ついつい、相手のきらびやかなスキルセットに惹かれてしまい、自分も習熟したくなります。
しかし、一朝一夕では身につかない。
出来なかった自分に情けなさを感じて、落ち込む。ダメ人間だと思い込む。
無理してやるべきことをやろうとしても、上手くいきません。
「やるべきこと」に努力が出来る人間だからこそ、
「やりたいこと」を努力をするべきなんです。
Contents
”成長”に取りつかれた日本人
日本人は何かを出来るようになるの大好きです。
元来日本人は成長という言葉が大好きですよね。
ひと昔前、求人広告には「成長できる環境!」「アットホームで愉快な職場です!」といううたい文句があふれていました。
今でこそブラック企業という言葉が普及し、こうしたキーワードは刺さらなくなってきましたが、この「成長できる環境」という言葉に日本人はどれだけ魅了されてきたかわかりません。
ぼく自身もいわゆる「成長教」の信者でした。
学生の頃から数々の会社でインターンをし、何百冊の本を読みました。それが自分の為であり、意義があると考えていました。
社会人になってからは、「営業力」「論理思考力」「財務」「新規事業」・・・
専門性を習得することが自分の成長だと自分自身に言い聞かせ、日々会社で長時間労働や持ち帰り残業をしながらも、睡眠時間を削って、毎日会社に求められる知識を勉強していました。
こうして、成長教にとりつかれたぼくは、自らの体のSOSに気づかず、うつになり退職をすることになりました。
この時ぼくは、「成長している自分」をみたくて努力を続けていました。仕事をするのがつらい。睡眠時間をけずるのがつらい。でも、成長すれば周りからも認められる。もっとより良い人間になれる。
本気でそう思っていました。
(恥ずかしい話ですが・・・)
義務感でやる努力は、すきなものを駆逐する。
「義務感でやる努力」が増えると、「すきなこと」への興味も失っていきます。
ぼくは受験勉強という努力をするために、大好きなFPSゲームの時間を失いました。一日14時間やってもまったく飽きなかったあの頃のぼくは、受験勉強をやった後消え去ってしまいました。
あの頃のように興味を持てなくなり、楽しさ、わくわくを思い出す事は二度と出来なくなってしまいました。
大学生の頃は、本を読むのが大好きでした。お金が無い中ブックオフに行って、100円コーナーで3冊買うか、4冊買うか1時間悩んだ後、ドトールに行って日が暮れるまで本を読み続けていました。
しかし、社会人になって仕事を覚えるために時間を使ってから、ぼくは本を読むことにわくわくする機会が減ってしまいました。
「この知識を習得しなければならない。」そう思って読んでいた本はいつしかつまらないものに変わってしまいました。
「やるべきこと」は「やりたいこと」に勝てない。
成長教信者は、「やりたいこと」と「やるべきこと」の区別がつけられないのが特徴です。
「やりたいこと」・・・自分自身が好きでやりたいこと。
「やるべきこと」・・・義務感をもってやること。
先ほどのぼくの話を例にとっていえばこのように分類されます。
「やりたいこと」・・・ゲーム・読書
「やるべきこと」・・・受験勉強・仕事
どちらをやるべきでしょうか?
過去の自分にもし、伝えられるなら絶対に上をやるべきだと今なら言えます。
何故なら、やりたいことをやっている人間に、やるべきことをやっている人間は勝てないからです。
▼義務感でやる人間はロボットに駆逐される話。
”成長教”信者だから、好きなことをやろう。
成長教信者は、本来勉強することが大好きです。自分自身の能力を向上するために日々努力をすることを惜しみません。
しかし、もとめられる事を無理してやり続けることで、だんだんストレスがたまるようになり、つらくなり、気分が落ち込み体を壊してしまいます。
嫌いなものを努力でカバー出来てしまうのが、成長教信者の特徴です。
でも、それをカバーしようと無理しても、「やりたいこと」を持っている人間には勝てません。
成長教の信者だからこそ、好きなことをやりましょう。
嫌いなものでも、努力が出来てしまうのが成長教の信者です。
好きなものに努力をしていけば、きっと幸せになれますよ。