先日のある夜。ぼくの携帯にLINEが入りました。
「アキレス腱切っちまって入院することになったわ。。」
そう、お世話になっていた上司から連絡が入りました。
ということで、昨日はお見舞いに行ってきました。
ぼくは普段あまり人付き合いをしません。結構人と会うのが面倒なタイプなので・・
しかし、その人にとって大切なタイミングに必ず顔を出すことで、上手く人間関係を作っています。
今日はその話をしようと思います。
相手が最も感謝してくれるのは、つらい時。
つらい時に助けてもらったことって記憶に残ります。
本当につらい時、弱っているときにかけてもらえる言葉は、とても嬉しいです。
「大丈夫?」「心配してるよ。」「早くまた会おう。」そんなありふれた些細な一言でいいんです。
ぼくは一回会社を休職して、うつになった経験があります。
当日の朝、吐き気が止まらず体調が悪くなりおかしいと思い、病院に行ってから、そのままうつと診断されました。
うつになった後、ぼくは1ヶ月間誰とも話せませんでした。
携帯電話が鳴るのも怖く、LINEも連絡を誰ともとらず連絡がきても逃げていました。
でも、そんなときに連絡をくれた人のことを強く覚えています。
元気になった時に連絡をくれる友達の言葉はうれしいけれど、ぼくにとって一番心に残った人たちは、やっぱり最初に連絡をくれた人たちです。
自分が本当につらいとき、かけてくれた些細な一言は、相手が思っている以上にうれしいことです。
辛い時の方が記憶に残る。
人間は、感情に左右される生き物です。
そして、ポジティブな記憶よりも、ネガティブな記憶の方が残りやすいものです。
だからこそ、相手が本当につらい時に手を差し伸べることが大事です。
人は、ネガティブな気持ちのときこそ、思考が巡るといいます。
普段何気なく馬鹿話をするときの記憶は、びっくりするほど残りませんが自分が仕事で落ち込んでいるときに上司が誘ってくれた飲み会の記憶は結構残っています。
だから、ぼくは相手がつらい時、ライフイベント等のタイミングで必ず顔をだすことにしています。
つらいときにこそ、人に頼りたくなるんです。
自分が弱っているときにもらえる言葉は、最も心にしみていきます。
自分が弱った時にも助けてもらえる。
こうした節目のタイミングに顔を出して、話をして、関係性を繋げていくことで、自分が弱った時に助けてもらえることがあります。
人生には波があります。「人間関係なんていらない!」っておもうときもあれば、「誰でもいいから助けてほしい」とおもうときも訪れます。
そんなとき、自分だけ助けてもらえるほどやさしい世界なんてありません。
もし自分がこの立場だったら、「助けてほしい」と思うんじゃないだろうか?「声をかけてほしい」と思うんじゃないだろうか?
そう思うときがあれば、それは「相手」を助けるタイミングです。
というわけで、昨日お見舞いに行ってきましたが、既に何人かお見舞客がいたらしく、上司の「助けてほしい」タイミングはすでに終わっており、非常に元気な姿を見せられましたw
ですが、お見舞いを終えた後、LINEで感謝の気持ちを送ってきてくれました。
この仮説は間違っていないんじゃないかなーと思いながら帰りましたとさ。
おわり!