正直言うと、ぼくは結婚生活というものに1ミリの希望も持っていませんでした。
幼い頃の経験というものは、人の人生を大きく左右します。ぼくの両親は、ぼくが3歳の頃から別居を繰り返し、今では双方とも完全に「他人」という存在に変わっています。
両親の喧嘩と言い争いは、幼少期のぼくに大きな影響を与えました。
お互いのことを憎み合い、スキあらば子供のぼくに悪口を言い合う関係性をみて育ったぼくが、「結婚生活」に興味を持たなくなることはある種当然のことでした。
そんなぼくは、昨年結婚をし晴れて今の嫁と「結婚生活」を行っています。
この決断をするためにぼくは5年の歳月をかけましたが、今現在嫁と結婚することになって後悔はほとんどありません。
(全く無いとは言いません。結婚生活というメリットを得ることで失ったことももちろんありますし、たいていのものごとにはメリットとデメリットが交錯しているものです。)
しかし周りを見ると、結婚生活に後悔している人が後を経ちません。興味深いのは、「結婚をしてわずか数年にもかかわらず、結婚生活が破綻している人たくさんいること」です。
結婚とは人生の選択肢のなかでも、最も大きな比重を占めるものです。
これが例えば「仕事先」の選択であれば、たとえ間違ったとしても、失うものは時間と経歴書の綺麗さ程度のものでしょう。
しかし、結婚の失敗はそんな些細なことではすみません。あかの他人と財産権を分かち合い、共有しあい、周囲からは「同じ」人間と扱われます。
そんな重要な決断にも関わらず、何故失敗する人が後を絶たないのでしょうか。
→「結婚式はいらない」と言われる中、あえてぼくが数百万投資した3つの理由
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相手を”知らず”に結婚をしているから。
人間を理解することは並大抵のことではありません。
数年後に「こんな人だと思っていなかった」なんて不平不満を言うのなら、永遠の愛なんぞ誓わないほうが良いでしょう。
ぼくは、今の嫁と結婚するに至って、5年の歳月をかけました。5年と言ってもそれは普通に人が想像するよりもはるかに長い時間です。
お互い学生だったこともあり、付き合って最初の1年程は毎日のようにあっていました。その過程で相手のきれいな所も汚い所もたくさん見ることが出来ました。
相手の理解ができていないうちは結婚なんぞするべきではありません。「結婚をせがまれた」「付き合った年数が長いから」「比較して条件がマシだったから」それらは全て言い訳です。
→夫婦で読んでほしいお勧めマンガ「喰う寝るふたり住むふたり」
”期待”をして結婚しても絶対に上手くいかない。
「今まで○○だったけど、結婚をしたら、○○してくれるだろう」という期待を1%でも持ってはいけません。
結婚する前に出来なかった事は結婚後にできるはずがありません。むしろ、結婚生活前にできていたことができなくなることすらあります。
例えば、浮気をしていた人間が結婚を期に辞めることなんぞ不可能ですし、人はそんな簡単に変わりません。
中途半端な期待を持って無理やり結婚してしまったとしても、絶対にボロがでます。もしそうした期待を持っているのなら、ちょっとだけ見つめ直してみてください。
→家計のやりくり夫婦でどうやる?→小遣い制よりストレスのない方法
まとめ:期待を持って結婚なんぞしない。
ここでいう”期待を持たない”とは、決して”妥協する”ということではありません。
期待とは、相手や結婚生活に対する幻想です。長い時間をかけしっかり相手のことを理解した上で、幻想ではなく現実的なイメージとして『この人と結婚したらお互いが幸せになれる』と思うことが出来たら、それが結婚のベストなタイミングなのではないでしょうか。
そこに妥協は無く、また、必要以上の期待も無ければ、結婚後に「価値観が合わない」「こんなはずでは無かった」と悩むことも無いはずです。
結婚は現在の法制度上非常に重く、大きな決断です。
もし、年齢や付き合った年月を考え、情や周りの意見に左右されていて結婚を考えているのであれば絶対にしてはいけません。
相手との関係性が中途半端だと思って結婚をする人はほとんどいないでしょう。しかし相手を理解できていると自信を持って言えないのであれば、それは関係性が中途半端だという証拠です。
周りに左右されず、いっときの感情に流されず、自分の決断に責任を持ちたいものですね。
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